大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(ネ)684号 判決 1983年3月15日

昭和五七年(ネ)第六五九号事件被控訴人・

同第六八四号事件控訴人(以下「第一審原告」という。)

宮崎竹藏

宮崎なほ美

宮崎千代子

右二名法定代理人親権者

宮崎竹藏

右三名訴訟代理人

木村壮

近藤康二

昭和五七年(ネ)第六五九号事件控訴人・

同第六八四号事件被控訴人(以下「第一審被告」という。)

穴原正司

右訴訟代理人

井波理朗

太田秀哉

主文

原判決中第一審被告の敗訴部分を取り消す。

第一審原告らの請求を棄却する。

第一審原告らの控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、第二審を通じて第一審原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  第一審原告ら

(控訴の趣旨)

1 原判決を次のとおり変更する。

「第一審被告は第一審原告宮崎竹藏に対し金四四〇万円、第一審原告宮崎なほ美、同宮崎千代子に対し各金二七五万円及び右各金員に対する昭和五三年一一月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。」

2 訴訟費用は第一、第二審とも第一審被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(第一審被告の控訴の趣旨に対する答弁)

控訴棄却の判決。

二  第一審被告

(控訴の趣旨)

主文第一、第二、第四項と同旨の判決。

(第一審原告らの控訴の趣旨に対する答弁)

主文第三項と同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 第一審原告宮崎竹藏(以下「第一審原告竹藏」という。)は、訴外亡宮崎タミ子(以下「タミ子」という。)の夫であり、第一審原告宮崎なほ美(以下「第一審原告なほ美」という。)、同宮崎千代子(以下「第一審原告千代子」という。)はいずれも第一審原告竹藏・タミ子夫婦の子である。

(二) 第一審被告は、昭和二九年九月二一日に医師登録をし、同三六年に開業した医師であつて、現在、肩書地において内科・小児科の診療を目的とする穴原医院を経営している。

2  医療事故の発生

(一) タミ子は昭和五〇年ごろから主に高血圧症の治療のため、第一審被告の手当を受けていたところ、昭和五三年六月初旬、第一審被告に対し上腹部痛・悪心があり、胃癌ではないかと訴えてその診療を求め、病状の医学的解明とこれに対する適切な治療行為をすることを依頼し、第一審被告はこれを応諾した。そして、第一審被告は同月一三日、タミ子の胃部を中心としたレントゲン写真撮影検査を行ない、その結果、胃癌のおそれは全くなく、単なる胃潰瘍であると診断し、「二、三か月間投薬を続ければ完治する。」と述べ、内服薬を服用するように指示し、その処方をした。

(二) タミ子は第一審被告の指示どおり内服薬を服用したが、一向に快方に向かわないので、再三精密検査をしてほしいと要請したが、第一審被告は「胃潰瘍だから投薬していれば完治する。」との一点張りで内服薬の投与を処方するだけであつた。

(三) タミ子は、万一のことを考え、昭和五三年八月二五日、足利赤十字病院(以下「日赤病院」という。)に赴いて診察を受け、次いで同年九月六日同病院に入院し、胃透視カメラ、注腸透視等の検査を受けた結果、広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎であることが確認された。しかし、このときは既に手術不能の状態にあると判断され、タミ子は同年一一月一二日同病院で胃癌・癌性腹膜炎により死亡した。

3  第一審被告の責任

第一審被告は、タミ子からの診療委任を受任したことにより善良な管理者の注意をもつて、医師としての専門的知識・経験を基礎に、その当時の医学水準に照らして十分かつ適切な診療行為をすべき義務を負つたにもかかわらず、次のとおりその履行を怠つた。すなわち、

(1) 第一審被告は、患者であるタミ子の訴えに注意することなく、撮影したレントゲン写真中に認められた胃部の異常な陰影のみに注視して、漫然とタミ子の疾患を胃潰瘍であると誤診した。しかし、一般にレントゲン写真によつて疾患の診断(判読)をする場合には、写真の一部分のみを注視するのは誤りであり、全体像の状況と部分像とを総合して診断しなければならないものである。このことは、レントゲン写真を読影する場合の初歩的な知識・技能であるにかかわらず、第一審被告は、自らも認めるようにタミ子のレントゲン写真を読影するについて胃部の全体像のふくらみが足りないことに全く注意を払わないという初歩的な誤りを犯かしている。そればかりか、レントゲン写真に現れた胃部の映像を見ると、第一審被告が注目した潰瘍部分とみられる異常な陰影のほかにも、胃部辺縁にぎざぎざやうねりが見られ、全体像のふくらみが足りないことと合せると、右映像からはタミ子の疾患を胃潰瘍と速断できるものではない。

(2) また、レントゲン写真によつて胃潰瘍との診断を下しても、これだけではその潰瘍が悪性のものなのか、それとも悪性でないものなのかの判断まではできないのであるから、一般にはさらに精密な検査が実施されるべきである。ところが、第一審被告は、タミ子からの要請があつたにもかかわらず、最初にレントゲン写真撮影検査を一回行なつたほかは、胃液検査、糞便検査、再度のレントゲン写真撮影検査、胃ファイバースコープ(胃鏡検査・胃カメラ検査)等の精密検査をしなかつた。仮に第一審被告の技倆・経験あるいはその経営する医院の設備では右のような精密検査ができなければ、第一審被告はタミ子に対して他の人的物的施設の充実した医療機関への転医を促し、あるいは他の医師の協力を求めるべきであるのに、これを怠つた。

以上の次第であるから、第一審被告のタミ子に対する診療行為は、同人との診療契約上の債務の本旨に従わない不完全なものであるのみならず、タミ子に対する過失に基づく不法行為を構成するものである。

4  因果関係

タミ子はスキルス(硬性癌)と呼ばれる悪性の癌に侵されていた。右スキルスは、医学上、急激に進展し、予後の最も悪い癌であり、早期発見が難しいとされている。しかし、タミ子は穴原医院でレントゲン写真撮影検査を受けた昭和五三年六月一三日から日赤病院に入院した同年九月六日までの八五日間、癌に対する何の治療も受けることなく放置されていたのであり、この間に同人の胃癌は急激な進展をみたものと考えられる。したがつて、右六月一三日のレントゲン写真撮影検査の結果、胃癌と診断されるか、そうでないとしても、胃潰瘍とは断定されず、さらに精密な検査を受ける機会を得ていたならば、さほど遅くない時期に胃癌が発見され、タミ子はその時点での症状に応ずる手術をはじめ、現代医学上可能とされる十分かつ適切な治療を受けることができたわけである。そうすれば、タミ子は一命を取り止めることができたかも知れないし、それが不可能であるとしても、少くともいくばくかの延命の可能性があつたであろうことは何人といえども否定することはできない。仮にその可能性がなかつたとしても、胃癌が早い時期に発見され、十分かつ適切な治療が受けられれば、その結果の如何にかかわらず、患者や家族はそれで満足できるのであり、また、患者は適正な病名ないし病状を早く知ることによつて、いわば死への心の準備をするとともに、残された日日を悔いなく送るようにつとめ、家族もまた、患者の心境がそうあるように配慮するものである。ところが、タミ子は日赤病院で胃癌と診断されたときには既に手術不能の状態にあり、入院後の抗癌剤の投与も効果がなく、次第に全身衰弱を来たして死亡するに至つたのであり、タミ子や第一審原告らがタミ子の疾患について正確な病名ないし症状を知つたのさえ、死亡の二か月ほど前のことであつた。

5  損害

(一) 慰藉料

タミ子は死亡当時三九歳(昭和一四年五月二八日生まれ)であり、良き夫に恵まれ、家庭的にも子供らが成長して安定期に入り、一家は幸福な状態にあつた。ところが、第一審被告の誤診の結果、胃癌の発見が遅れ、タミ子は現代医学上可能とされる十分かつ適切な治療を受ける余地のないまま死亡したのであり、タミ子及び第一審原告らがタミ子の疾患について適正な病名ないし病状を知つたのは、漸くその死亡二か月ほど前のことであつた。そのためタミ子及び第一審原告らはそれぞれ前記のような利益を失つたのであり、これによつて蒙つた精神的苦痛は甚大であつて、その慰藉料は、タミ子に固有のものとして金三〇〇万円、夫である第一審原告竹藏について金三〇〇万円、子である第一審原告なほ美、同千代子につき各金一五〇万円とするのが相当である。

(相続)

第一審原告らはタミ子の第一審被告に対する右慰藉料請求権を法定相続分に従いその三分の一に当る金一〇〇万円ずつを相続により承継した。

(二) 弁護士費用

第一審原告らは、足利医師会長を仲介人として第一審被告と再三交渉したが、第一審被告はその責任を認めず、右損害金を支払おうとしなかつた。そこで、第一審原告らは、本訴の提起を決意したのであるが、本件が医師の誤診にかかるものであり、訴訟の提起、遂行には専門的知識を必要とすることから、弁護士である第一審原告代理人らにこれを委任し、その報酬として請求金額の一〇パーセントに相当する金九〇万円(第一審原告竹藏につき金四〇万円、第一審原告なほ美、同千代子につき各金二五万円)を支払うことを約した。

6  よつて、第一審原告らは第一審被告に対し、第一審原告竹藏において右(一)(二)の各損害金計四四〇万円、第一審原告なほ美、同千代子において同じく各計二七五万円及び右各金員に対する損害発生の日である昭和五三年一一月一二日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁及び反論

1  請求原因1の事実のうち、(一)は不知、(二)は認める。

2  同2の(一)の事実のうち、タミ子が上腹部痛・悪心があるといつて、第一審被告の診療を求めた際、胃癌ではないかと訴えたこと、レントゲン写真撮影検査の結果、第一審被告がタミ子の疾患について胃癌のおそれは全くなく、単なる胃潰瘍だと診断したこと及び第一審被告がタミ子に対し「投薬を続ければ完治する。」と述べたことを否認、その余は認める。

タミ子が胃の不調を訴えて診療を求めた当時、第一審被告はタミ子に胃を荒す副作用のある高血圧症に対する薬剤を投与していたので、同女の胃の不調は薬の副作用による胃カタルではないかと思つたが、念のためレントゲン写真撮影検査を行なつた。その結果、胃カタルではなく胃潰瘍であると診断されたので、タミ子に対し胃に穴が空いているがしばらく薬を飲めば治るだろうと説明した。そして、第一審被告は、タミ子に対してしばらく投薬を続け、経過を観察しようとしたのであり、このとき第一審被告がタミ子の疾患について胃癌の疑いをもたなかつたのは、レントゲン写真が典型的な胃潰瘍の映像を示していたほか、(1)タミ子は若く、未だ癌にかかり易い年齢には達していなかつたこと、(2)症状の発現が比較的最近のことであること、(3)タミ子の栄養状態がすばらしく良く、血色も常人と変らなかつたことによるものである。なお、胃癌等の単語はタミ子も第一審被告も全く使用したことはない。

同(二)の事実は否認する。

胃潰瘍についての治療が始まつて以来、タミ子の症状は胃潰瘍としては概ね順調な経過をたどり、タミ子が最後に来院した八月二四日までの間、特に新たな検査等の必要性が認められるような症状は現れなかつた。

同(三)の事実は不知。

3  同3の主張は争う。

((1)の主張について)

タミ子のレントゲン写真中には胃潰瘍を示す映像があつたことは事実である。したがつて、これにより第一審被告がタミ子の疾患について胃潰瘍との診断をしたことは当然であり、前記のようなタミ子の年齢、症状発現の時期及び体格等からして、レントゲン写真撮影検査の段階で第一審被告がタミ子の疾患について胃癌の疑いをもたなかつたことも誤りとはいえない。第一審被告は、タミ子のレントゲン写真の読影に際し、胃部全体の映像のふくらみ具合が悪いとの印象をもつたが、タミ子の疾患が胃癌であつたことが明確となつた今の時点でみれば、これは胃癌のためであつたということができる。また、右の事実を踏まえて、改めてタミ子のレントゲン写真を見れば、潰瘍部分とみられる異常な陰影の附近に陰影欠損があるとの印象も受ける。しかし、これらの事柄は、あくまでタミ子の疾患が胃癌であつたという事実を踏まえたうえでいえることであつて、レントゲン写真撮影検査の段階でタミ子の疾患について胃癌の疑いをもつべきであつたかどうか、ということとは別個の問題である。というのは、レントゲン写真の読影は計測機器によつて対象物を測定するような単純な作業ではないのである。それにはかなりの技倆と経験とが必要であり、映像を見ての直観ないし印象が医師の判断に大きく作用するものである。特に、スキルスをレントゲン写真の映像から発見することはもともと非常に困難であつて、これといつた決め手のないのが現状であり、その診断には高度の医学的判断が必要である。したがつて、第一審被告がレントゲン写真撮影検査の段階でタミ子の胃部について胃潰瘍のほかにさらに精密な検査を必要とする異常を発見しなかつたからといつて、直ちにこの点について第一審被告に過失があるということはできない。第一審原告らの主張は、後に判明した事実をもとにして、レントゲン写真撮影検査の段階での第一審被告の判断を非難するものであつて、医療の実際を無視した多分に主観的な見解というべきである。第一審被告は、レントゲン写真撮影検査の段階でタミ子の疾患を胃潰瘍と診断し、その治療に必要な処方をしながら経過を観察しようとしたものであつて、第一審被告のとつた措置にはそれ相応の合理性があるのである。

((2)の主張について)

レントゲン写真撮影検査の結果、胃潰瘍との診断が下された場合、さらに胃カメラ検査等の精密検査を実施することは、昭和五三年当時はもとより、今日においても医学上必ずしも必要なこととはされていない。ただ、スキルスはその早期発見が極めて困難であり、発見されたときには既に手遅れであるため、最近になつて漸く、悪性でない胃潰瘍と診断されても、本件のタミ子のように、稀にスキルスであることがあり得るから注意するようにいわれ出しているのが現状である。

胃カメラ検査等は決して安全なものではなく、その結果も絶対的でない。また、医師がこれを勧めても患者の方で嫌がることが多い。そこで、臨床医としては、まず、最も可能性の高い疾患を疑い、これに対する処方をしながら経過を観察し、さらにその必要性が出てくれば、胃カメラ検査等を行うというのが一般にとられている方法であり、この程度のことは臨床医の裁量に属する事柄である。特に、開業医の場合は、疾患について確定的な診断がつかなくても、まず、臨床診断に基づいて必要な処方をしながら経過を観察し、疑問が生じた段階で大規模な医療機関へ患者を転医させるというのが通常である。

4  同4の主張は争う。

一般論としては、胃癌といえども早期に発見し早期に十分かつ適切な治療処置を施せば、治癒することがないではないし、それが不可能としても死期を遅らせることは可能である。しかし、タミ子の場合、その胃癌は目立つような腫瘍や潰瘍も形成せず、胃壁が全体として肥厚していくもので、胃癌のなかでもとりわけ悪性度の高いスキルスであつたのであり、結果的にみて、六月一三日のレントゲン写真撮影検査の段階で既にその患部は広範囲に及び、かなりの程度に進行していたものと考えられる。したがつて、仮に右の段階で胃癌が発見されていたとしても、今日の医学をもつてしては、その生命を救い、あるいは死期を遅らせるということは不可能であつたといわなければならない。

また、タミ子が第一審被告に胃の不調を訴えてから癌が発見されるまでに約三か月が経過しているが、スキルスであるとの確定的な診断が下されるには患者が身体の不調を訴えてからこの程度の期間を要するのが通常であり、第一審被告の治療を受けていたため、タミ子について胃癌の発見が特に同種の癌患者より遅れたということはない。結果的にみると、タミ子についてはその死亡の五か月以前に胃癌の症状が現れており、スキルスの場合、その症状が現れるようになつた段階では、もはや手術をすることが困難であり、薬物による効果も期待できないのである。

以上を要するに、スキルスはその早期発見が困難であり、発見されたときは手遅れであるという場合が多く、今日の医学ではこれに対する効果的な診断・治療の方法は確立されていないのであり、タミ子はこの種の癌患者が普通にたどるのと同じ経過で死亡したのである。

なお、本件のような場合、患者の適正な病名ないし病状を早い時期に知ることが患者や家族にとつてどのような意味をもつかは各人ごとに様々であり、この点に関する第一審原告らのいう利益は多分に主観的なものであつて、法によつて保護するに値する利益には当らない。

5  同5の各慰藉料及び弁護士費用の金額は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一第一審原告竹藏がタミ子の夫であり、第一審原告なほ美、同千代子がいずれも第一審原告竹藏・タミ子夫婦の子であることは<証拠>に照らして明らかであり、第一審被告が昭和二九年九月二一日に医師登録をし、同三六年に開業した医師であつて、現在、肩書地で内科・小児科の診療を目的とする穴原医院を経営していることは当事者間に争いがない。

二診療契約の成立

<証拠>によれば、タミ子は本能性高血圧症の持病があり、同人は昭和五〇年二月三〇日以来、断続的に穴原医院を訪れ第一審被告により治療を受け、併せてその間に発症した上気道炎・急性咽頭炎・急性鼻咽頭炎(風邪)、腰痛、坐骨神経痛、急性・慢性胃炎等についてもその都度必要な手当を受けていたことが認められるところ、右同様、高血圧に対する処置を主目的とする治療が続けられていた昭和五三年六月初旬、タミ子は第一審被告に対し上腹部痛・悪心を訴えてその診療を求め、第一審被告においてこれを応諾したことは当事者間に争いがない。

右事実によれば、タミ子と第一審被告との間には、昭和五三年六月初旬、初めてタミ子の胃部を中心とする疾患の治療を目的とする準委任契約が成立し、これにより第一審被告はタミ子に対し、右疾患の原因を医学的に解明したうえ、これについて現代医学の水準に照らし十分かつ適切な治療措置を施すべき義務を負担するに至つたということができる。

三タミ子の死亡に至るまでの経過と<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  タミ子から最初に上腹部痛等の訴えがあつたのは昭和五三年六月九日のことであるところ、このときの診察によると、タミ子の上腹部「みずおち」のやや左側に圧痛があり、舌には胃に変調が生じたときにみられる「舌苔」が認められた。しかし、タミ子は、その数日前に風邪を引いており、二日前の同月七日に来院した際、第一審被告はタミ子に対して抗生物質と咳止め、及び総合感冒薬を投与する処方をしていたので、タミ子の胃の変調はその副作用によつて一時的に胃が荒されたためであつて、単なる胃カタルであると診断し、鎮痛剤と精神安定剤が混入した胃薬の服用を処方した。

2  次にタミ子が来院したのは同月一二日であり、このときタミ子は前日胃痛があつたことを訴えた。この時点では感冒は完治していたが、第一審被告は、右胃痛も先に投与した総合感冒薬等の副作用が残つていることによるものであろうと考え、鎮痛剤を一筒注射したほか、前回とは別の胃薬を投与することとし、その処方をした。そして、この時点では第一審被告は、タミ子の胃の変調について右のような判断をしていたし、タミ子が肥満型の体形をしていたので、穴原医院備付けの機材で良好な写真がとれるかどうか疑問であつたため、レントゲン写真撮影検査には消極的であつたが、逆にタミ子の方からその要請があつたので、翌一三日、タミ子の来院を求め、これを実施した。

3  その結果は第一審被告の予期に反するものであり、タミ子の胃部レントゲン写真の小彎の中心よりやや上の部分に明らかにニッシェ(凹窩)とみられる映像が認められ、胃に穴ができていることがわかつた。そこで、第一審被告は、これに基づきタミ子の疾患を典型的な胃潰瘍であると診断し、二、三か月間投薬を続けながら経過を観察していく、との治療方針を立て、同月一四日、タミ子に対し右レントゲン写真を示しながら、検査結果と治療方針を説明した。

ところで、第一審被告は、タミ子のレントゲン写真を読影した際、胃部全体の映像のふくらみ具合が普通より少ないとの印象を受けたが、肥満型の体形の患者には時にはこのような現象がみられないでもなかつたし、撮影中に「げつぷ」をすると、右のようなことがあり得るので、この点をことさらに追及しようとはしなかつた。また、第一審被告は、(1)タミ子が若く、未だ癌にかかり易い年齢に達していなかつたこと、(2)胃痛等の症状の発現が最近のことであること、(3)タミ子の体格がよく、血色も常人と変らなかつたこと、(4)胃部の触診の結果、異常はなかつたことなどの事実から、タミ子のレントゲン写真中にニッシェとみられる映像が認められ、胃部全体の映像のふくらみが足りないとの印象を受けても、このことにより、タミ子の疾患について胃癌ではないかと疑つてみることはなかつた。

4  胃潰瘍と診断されたあと、タミ子は六月一九日、七月三日、八月四日、同月二四日の四回、第一審被告の診察を受け、ほかに六月二六日、七月一四日、同月二四日、八月一二日の四回、穴原医院を訪れ、薬局の窓口で処方された胃潰瘍の薬を受け取つた。四回の診察のうち、六月一九日には空腹時に胃が痛み、気持が悪くなるとの訴えがあつたが、七月三日のときは頭痛のほかには顕著な訴えはなかつた。そして、八月四日の診察のときになると、タミ子は、四、五日前から下腹部が痛み、食欲が少し落ちたと述べ、従来の上腹部がみずおち」附近とは別の下腹部の疼痛を訴えた。第一審被告は触診の結果、何かがあると感じたが、これを腸に滞溜したガスのためであると判断し、ガスを排泄し易くするための薬剤を投与した。八月二四日の診察の際にもタミ子は、腹部が張ると訴え、触診すると圧痛が認められた。しかし、第一審被告は、以上の経過を通して、タミ子の胃潰瘍には顕著な症状の変化はなく、上腹部の痛みを訴えなくなつたことからむしろ病状が好転しているとの見通しに立ち、なお、経過観察を続ける考えであつたところ、タミ子は右同日以後穴原医院には来院しなくなつた。

5  一方、タミ子は、穴原医院で治療を受けても一向に症状軽快の兆しが感じられず、かえつて、下腹部が張り重苦しくなつて来たので、胃癌でないとすれば、あるいは子宮癌かも知れないとの不安にかられ、八月四日に第一審被告の診察を受けて間もなくのころ、自宅近くの産婦人科医院を訪ね、検査してもらつた。その結果は異常がないということであつたが、そのあと、同月二四日に第一審被告に診察してもらつても不安を払拭してくれるような明確な病状の説明がなかつた。そこで、タミ子は翌二五日日赤病院を訪れ、同病院外科第一部長の訴外植松義和医師の診察を受け、同医師の指示により翌々二六日にはレントゲン写真撮影検査、胃カメラ検査等の諸検査を受けた。その結果、タミ子の疾患は胃癌ではないかとの臨床診断がなされ、同月二九日、タミ子は第一審原告竹藏とともに日赤病院で植松医師から潰瘍が大きいから直ぐ入院するようにと勧められ、ベットが空くのを待つて、同年九月六日、同病院に入院した。その後、同病院でタミ子につき内視鏡等による精密検査が行なわれた結果、同月一二日、広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎だとの確定診断が下され、数日後、主治医の吉田医師から第一審原告竹藏にその旨を知らされた。しかし、右確定診断がされた時点では癌は既に胃部全体に広がつていたばかりか、他の臓器等にも転移していて手術不可能の状態にあると判断され、抗癌剤の投与等の薬物法が試みられたが、その効果があがらず、末期には疼痛持続、食物摂取不能となり、次第に全身衰弱の症状が増強して、同年一一月一二日、タミ子は同病院で死亡した。

以上の事実が認められ<る。>

<証拠>によれば、

1  タミ子の解剖の結果からすると、同人の疾患の中核となつたものは、病理組織学的診断名によると、胃体部小彎側原発硬癌(印環細胞癌)であり、これが胃の広範囲に及んでいたほか、腹膜、横隔膜、肝臓、脾臓、左右卵巣等に転移しており、また、これに派生して小腸の癌性癒着、左右肺のうつ血水腫(高度)、肝腫大、癌性肝被膜炎等もみられたこと、

2  硬癌、すなわちスキルスは、医学上、びまん性癌、印環細胞癌、リニテスプラステイカ、ボールマン四型等の別名をもつても呼ばれ、胃に発現したスキルスは粘膜下層以下の深部侵潤形式が通常の胃癌とは生物学的に異なる特殊な性格を有し、胃壁全体に広範囲な侵潤を生じ胃壁に高度の繊維増成をきたすとみられている。しかも、それは急激な進展を来たし他に転移し易く、予後も極めて不良で、悪性度が非常に高い胃癌であつて、その病勢が進むと、胃壁が厚肥して硬くなり、胃の内腔が狭小化し、管状あるいはレーザーボトル状を示すという特徴があるとされていること、

3  胃癌の診断法が完成に近づいている現在においても、スキルスに関する限り、そのX線学的早期発見の診断は固まつていないので早期発見は不可能に近く、そのためこれが発見された時点ではもはや手遅れであり、ほとんど治癒の可能性のない症例が多く、今日の医学界において、その早期診断学の確立と病態の解明が待たれていること、

4  タミ子の解剖の結果からすると、昭和五三年六月一三日にレントゲン写真撮影検査がされる以前からすでにタミ子のスキルスは進行しており、右レントゲン写真からもスキルスであつて、胃全体が癌に侵かされていると判読する可能性があつたこと、

が認められる。

四第一審被告の契約責任及び不法行為責任

<証拠>によれば、(1)昭和五三年六月一三日に穴原医院で撮影したタミ子の胃部を中心とするレントゲン写真には胃体小彎附近に潰瘍部分と認められる映像があり、このレントゲン写真の読影の結果からタミ子の疾患を胃潰瘍と診断することには問題はないこと、(2)ところで、レントゲン写真の読影の結果、胃潰瘍との診断がされた場合、一般に日赤病院のような大規模な医療機関では、この潰瘍が悪性のものか、悪性でないものか、特にこれが癌など他の疾患によつて生じたものでないかどうかを明らかにするため、さらに胃カメラ検査等による精密検査が実施されること、(3)しかし、一般の開業医においては、右のような精密検査は直ちに行なわれず、ひとまず、薬剤の投与による療法を続けながら定期的な触診、レントゲン写真撮影検査等によつて経過を観察し、何らかの異常が認められれば、精密検査及び手術等の高度な治療措置を受けさせるため、その時点で患者を大規模医療機関へ転医させており、これがわが国の医療の実状であること、が認められ<る。>

右事実によれば、昭和五三年六月一三日に実施したレントゲン写真撮影検査の結果、第一審被告がタミ子の胃部の疾患について胃潰瘍との診断を下し、薬剤の投与による治療措置を講じながら、その経過を観察しようとしたことは、今日の医療水準及びわが国の医療の実状に照らして必ずしも是認し得ないものではなく、右の段階で第一審被告に第一審原告ら主張のような契約債務の不完全履行による責任あるいは不法行為上の過失責任があつたということはできない。しかしながら、右レントゲン写真撮影検査後の経過をみると、同年八月四日の診察以前においては、タミ子は上腹部「みずおち」附近の痛みを訴えていたのに、この日の診察の際には新たに四、五日前から下腹部が痛むと訴え、第一審被告において触診した結果、何かがあると感じたこと、これよりさきタミ子の要請に基づいて撮影したレントゲン写真読影の段階で第一審被告においてタミ子の胃部全体の映像のふくらみ具合が普通より少ないとの印象を抱いたことは前認定のとおりであり、これらの事実を合せ考えると、右八月四日の診察の段階で第一審被告が医師としての善良な管理者の注意をもつて事に当つていたとすれば、タミ子の疾患について新たな疑問を抱く余地があつたのではないかと考えることも可能である。それにもかかわらず、この段階においても第一審被告がタミ子の胃潰瘍について症状に顕著な変化はなく、上腹部の痛みを訴えなくなつたことからむしろ好転していると判断したことは前認定のとおりで、前認定のレントゲン写真撮影検査後の治療経過に照らすと、これは第一審被告がタミ子の疾患についてそれ以前に胃癌ではあるまいとの予断をもつていたが、あるいは胃潰瘍との既に下した診断にとらわれ過ぎたためとみることもできる。そればかりか、<証拠>によれば、当時、第一審被告は一日八〇人ないし九〇人もの外来患者の診察に当つており、多忙であつたこと、レントゲン写真撮影検査後も、第一審被告はタミ子が求めて来たときに限りその診察をしていたことが認められ、右証拠によつても、レントゲン写真撮影検査後、第一審被告がタミ子に対し経過観察との関連で診察の回数や日時等、具体的な指示をした形跡が見当らないことからすると、レントゲン写真撮影検査後の第一審被告によるタミ子の症状に関する経過観察が果して十分なものといえるかどうか、この点につき第一審被告に過失があつたのではないかとの疑義を払拭することはできない。

しかしながら、右の点は本件の主要な争点とはなつておらず、この点について医学的見地からの双方の主張・立証が尽されていないので、これが第一審被告による契約債務の不完全履行あるいは不法行為上の過失といえるかどうかの判断はひとまず留保することにする。

そこで、問題となるのは、穴原医院での第一審被告によるレントゲン写真撮影検査(昭和五三年六月一三日)が行なわれた後、日赤病院でタミ子の疾患が胃癌ではないかとの臨床診断がされた時点(同年八月二六日の検査により判明)、同病院にタミ子が入院した時点(同年九月六日)、又は同病院でタミ子の疾患が広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎だとの確定診断がされた時点(同年九月一二日)よりも早い時期にタミ子の胃癌(スキルス)が発見された場合、(1)今日の医学水準及びわが国の医療の実状に照らし十分かつ適切な治療として具体的にどのような措置をとることが可能であつたか、果して効果的な治療法があつたのかどうか、(2)右のような治療措置がとられたとしても、タミ子は果して一命を取り止めることができたかどうか、もしそれが不可能であるとしても、その死亡の時期を遅らせる可能性があつたかどうか、ということである。しかるに、本件においては右の点を解明するに足りる証拠はなく、かえつて前認定のような、タミ子が罹患した胃癌(スキルス)の特性及びこれに対応する今日の医学水準に照らすと、これらの諸点についてはいずれも否定的な見方をするほかなく、この点に関する第一審原告らの主張は、一つの仮定に基づくものであるか、あるいは単なる推測の域を出でないものであつて、これを肯認することはできないものといわなければならない。

また、第一審原告らは、タミ子の適正な病名ないし病状を知ることが遅れたことによつて、タミ子自身及び第一審原告らにおいてその主張のような利益を失つた旨主張するけれども、タミ子が罹患した前記のような難病の適正な病名ないし病状を早期に知ることが患者やその家族にどのような意味をもつかは、各人ごとに様々であり、第一審原告らのいう利益は極めて主観的なものであつて、万人に共通したものとはいいがたく、法によつて保護するに値する利益には当らないというべきであり、したがつて、この点に関する第一審原告らの主張もそれ自体理由がない。

してみると、第一審原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却するほかはない。

五よつて、第一審原告らの請求を一部認容した原判決は失当であるため、原判決中第一審被告の敗訴部分を取り消し、一方、第一審原告らの本件各控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(岡垣學 大塚一郎 松岡靖光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例